#11 A very merry unbirthday
- 紅屋 翠
- 2024年2月14日
- 読了時間: 8分
更新日:2月15日
「……それで、これは一体どういうことかな、アデルくん」
何となく嫌な予感はしていた。
しかし、今はもう不純異性交遊の蔓延る学生時代とは異なる。だから大丈夫だと思っていたのに。
2月14日。
今日は言わずもがな、あの日だ。
バレンタインデーとかいう一方的な好意を溶かして固めた固形物が全国的に氾濫する忌まわしい日。
そしてそれは俺にとって、体良く生誕祝いに見せかけることの出来る呪物……は流石に言い過ぎかもしれないが、とにかくこの甘ったるい物体に良い思い出はない。
それが今、ダイニングに山積みになっている。
「あ、ミシェルさんおかえりなさーい……遅かったですね……」
「うん、ただいま。それで?」
「あ、えっと、だから、そのー……」
「なぁに?」
「ぜ、全部僕のものです。はい……」
「あ、そうなの?なんだ良かった!食べるの大変だけど、頑張ってね」
ひらひらと手を振りながら身を翻す。
俺のでないのならそれで良い。自室に戻る為、ドアを開ける。
「あああごめんなさい嘘です!!僕も手伝いますから……!!」
分かってた。分かってたよ。
「……つまり?」
「……僕、とミシェルさん宛てのバレンタインチョコレートです。多分ミシェルさんが9割」
「ふーん……でも聞きたいのはそこじゃないなぁ」
「あー……えっと……」
俺は今、自宅とシュテルンツェルトとよく分からない偉そうなジジイの元を往復するだけの毎日だ。
その中には勿論女性もいるが、皆俺に好意を寄せるようなタイプではないし、そもそも好かれるほど深い関係でもない。仕事仲間と呼ぶのもしっくりこないくらいだ。
だからこのふざけた量のチョコレートは、今現在不可解な現象でしかないのだ。
「今日の下校中、背後に沢山の気配を感じて」
「怖い話?」
「違います。気のせいだと思ってたんですけど」
「うん」
「家に着いたところで声を掛けられて」
「はぁ?後つけられてんじゃん」
「ごめんなさい」
「何もないなら良かったけど。それで?」
「これをお兄さんに渡してくださいって……女の子が沢山」
ますます訳が分からない。
俺に呪物を渡してくるような複数人の女。いや呪物じゃないか。
確かに恨みを買うようなことは……それなりにしてきた自覚はあるけど。
「……って、え?女の子?」
「はい。僕のクラスメイトと、隣のクラスの子だそうです。先輩もいたかな……」
予想外の答えに一瞬面食らったが、よく考えてみればほんの少しだけ思い当たる節があった。でもまさか。
「一目惚れだそうで」
「いや……俺アデルくんの学校の子とか知らないし」
その瞬間、彼は眉を顰めながら言った。
「……ミシェルさん、まさか忘れたなんて言わないですよね?」
おや?形勢逆転。
どうやら当たりだったらしい。
もし彼の同級生が俺のことを知っているとするなら、その理由は間違いなくあの日が原因だろう。
「12月。僕のこと迎えに来たじゃないですか。学校に」
それは奇跡的に仕事が早く終わり、下校時間と重なったからという理由で偶々彼の高校に寄ってみた日だった。
純粋に、学校での様子が気になったというのもある。
今まで男子校にいたわけだし、浮ついたネタの一つや二つあったら面白そうだと思ったから。
「教室を出たら、正門の前に謎の美青年がいるって女の子達が騒ぎ始めて」
「あの時はずっと校舎の時計見てたんだよね。アデルくん遅いし寒いし雪降り始めてたし。やっぱり先帰ろうかなって」
「中からじゃ教室を見上げて人を探してるようにしか見えないんですよ。それで、誰かの彼氏じゃないかって話になって」
「単純だよね皆」
「だってミシェルさんだし。女の子が騒ぐのも無理ないですよ」
そしてその後、校舎から出てきた誰よりも目立つ彼に対し、俺は人目も憚らず手を振ってしまったのだ。
今思えば、脳内花畑の馬鹿としか思えない。
そもそも一緒に帰る友達がいてもおかしくないのに、勝手に出待ちをして無意識に2人で帰ろうとした自分の傲慢さ。それが酷く情けない。またしても黒歴史が一つ刻まれた瞬間だ。
俺の姿を確認した彼の顔は、驚きと呆れに満ちていたような気がする。
でも、不思議とその光景には既視感があった。
昔、ベルを迎えに行った時も似たような反応をされたっけ。
彼は隣の友人に軽く声を掛けて別れると、足早に駆け寄ってきてこう言った。
「早く逃げましょう」と。
そうして何が起きたのかというと、背後に迫る黄色い声からの逃走劇。正直、ちょっと面白かった。
どこかで見たようなベタな展開に笑いが出た。
走ることは出来ないから、逃げて隠れての繰り返し。
家がバレても困るので、無駄に遠回りをしたりして。
「外に出た時点で人だかりが出来始めていたし、お陰で僕まで変に目立っちゃって……次の日、皆から質問攻めだったんですよ。今日まで言いませんでしたけど」
「うん、まぁ……それはごめん」
言いかけた言葉を一旦飲み込んで、とりあえず謝った。
でも多分、それは俺だけが原因じゃないよ。と、彼のすっかり背が伸びた姿を見て思う。
「お兄ちゃんいたの?とか、一緒に住んでるの?とか……勿論ミシェルさんの恋人の有無も。
ある程度は答えましたけど、同居してる以上兄弟じゃないって言ったらなんか話が拗れそうだったので……そこだけは何となく流しました」
「偉いね。女の子は想像力豊かだから」
「はい。だからまぁ、このチョコ達はつまりそういう事です。学校でも沢山預かりました」
「アデルくん、俺の事知らないんだっけ?」
「知ってます!けど、食べ物だし、断るのも悪いかなぁって」
「はぁ……まぁ事情は分かったよ。でもこれどうするかな……」
「そうですね……」
「別のお菓子に作り変えられない?甘さもうんと減らして」
「…………」
「アデルくん?」
「あっ、えっと……“み”……“み”……皆呼びますか?」
「え?あぁ、エル達?いやー……あいつらも似たような状況だと思うよ。
甘いもの好きって言ったって、自分の分と合わせたら流石のフランも死ぬ」
「“し”……!よし、えっと、死ぬなんて怖いこと言わないでくださいよ。あ、でも捨てるのはなしです」
「まぁ、それはそう。俺は改心したからね」
「“エ”、エルはどうしてるんでしょうね!?よしっ……」
「声デカ。さぁ……毎年ちゃんと食べてるっぽいけど、実は土に埋めてたりして」
「“る”っ………ルカは庭に埋めてたらしいですよ!?貴族の人からの貰い物とか……」
「は?ルカくんヤバ。ていうか、アデルくんなんか変じゃない?」
「ルカごめん……っ。“さ”、寒くて。少し」
「あぁ、それは確かに。暖炉火つけようか」
「“ん”……ん!?そんなのないよ……」
「え?何?アデルくんさっきから変だよ」
「“お”、おかしなこと言わないでください。全然変じゃないですよ」
「いや絶対おかしいじゃん……具合悪いの?」
「“め”……が痛くて。いや痛くない!痛くないです」
「え、どっち?陽浴び過ぎた?ちょっと見せて。薬あったかな……」
「“デマ”です!」
「は?」
「っ……ごっ、ごめんなさいこれは無理があった……ふふっ……デマって……」
「……アデルくん、本気でヤバくなっちゃった感じ?」
「“と”……隣……の部屋で、寝ます」
「そっち俺の部屋だけど」
「“嘘”です!!!……はぁーー!すっきりした!よし、終わり!」
「…………」
「それじゃ、僕はこのチョコレート片付けてきますねー。パウンドケーキとかなら平気かな……」
「…………?」
必死に思考を巡らせてみる。彼はこんな支離滅裂な会話をするような子ではない。
彼の言葉を一言一句記憶出来ていたら良かったのだけど。咄嗟にそこまでの頭は回らない。
「…………もしかして」
正確には覚えていないが、最後の「デマ」と「隣の部屋」と「嘘」なら覚えている。
そこから考えられるのは……。
「いやいや…………」
無理があるって。
一瞬なるほどねと思ったけど。やっぱり全然なるほどじゃないよ。
あーあ、俺はやっぱりダメな人間だ。
あんなに気を遣わせて。
「あ、そうだミシェルさん。自室に戻ったら、本棚と机の上と、あとベッド、確認しておいてくださいね!」
「……うん。分かったよ」
俺が気付いていないと思っているのなら、それでいい。
でも。俺は、君の言葉なら穿った捉え方をせず素直に受け取ることが出来たと思うよ。
「俺ってそんなにアレルギー持ちだと思われてる……?」
思われてるな。
部屋に戻り、先程言われた場所を確認する。
すると、元々置いてあった本棚の前に小さな本棚が一つ、机の上には万年筆と手帳が置かれていた。
そしてベッドを見ると、枕が新調されている。
「……はは。俺を礼の言えない人間にさせないでよ」
もう気付いちゃったし、明日俺も同じことをしてやろうかな。
時計を見ると、既に0時を過ぎ日付が変わっている。
2月15日。今日は、俺にとって何でもない日。